共感≠コミュニケーション

「共感」とは何か。(児童小銃.456さん)
昨日のエントリへご返答頂きました。


成る程成る程!その点での共感ですね。もっと広義に解釈してました。申し訳ない。後、噛み付いたつもりでも無かったんですが、反論みたいになっててこれもまた申し訳ないです。


コミュニケーションを取る際、脳の働きとしては2種類ある筈ですよね。『言語によるコミュニケーション』と『言語以外の音声、表情、仕草によるコミュニケーション』。で、後者が「心の理論」で語られてる部分ですね。それぞれ利用する脳の部位は異なって当然でしょうねぇ。
でもですね、後者のコミュニケーションが不可だから別の情動を感じる=共感出来ない、では無いんじゃないですかねぇ。一般的には、相手が「それが良い(悪い)」と感じている事は感じ取る事が出来る、しかしそれが良い(悪い)とは思えないので共感出来ない、のケースが多いのではないかと。「心の理論」で語られている共感は「感じ取る事が能力的に出来るかどうか」であって、コミュニケーションにおける共感とは「感じ取ったものに同調できるかどうか」ではないでしょうか。
ですから現実のコミュニケーションにおいて問題となるのは、相手の感情が自分と異なる場合にそれを赦す事が出来るかと言う点と、共感:この場合同調を強要される点になりますね。sexにおける脳の働きの男女差が、統計的に有意な事に異論はありませんけどねぇ。器質的な問題とごっちゃにされて、更に同調圧力が強まる事が心配ですね。


結局の所、「適当な所で赦したれよ」(対男性脳)と「あんまり同じもの求めないでよ」(対女性脳)って結論なんですがね。


しかし「キモオタ」と呼ばれる人々が、言語以外のコミュニケーション能力に劣っている、と考えられたら怖いですねぇ。彼らだって共通の話題を有する人と会話する際、殆どの人が表情や声の抑揚、身振りを利用して雄弁にコミュニケーションを取っていますからね。無理解が誤解を生み、誤った知識で差別が罷り通るようだと、選民思想までもうすぐですからね。



参考
心の理論 -Wikipedia-
自閉症の極端男性脳理論(id:rnaさんより紹介)



追記:
「だからあまりいじめるな」に爆笑です。
田村玲子(田宮良子)最高。