非モテ論は社会論になれるのかなぁ

シニシズムと現在


私は、『非モテ』で語られる問題は「未だ社会化されていない差別(侮蔑)問題」であり、社会福祉に属する問題にしなければならないと考えてましたねぇ。その点を軸にして、私なりに問題点を整理し、それに対しての反論(同調圧力に対して:こちらこちら、差別(侮蔑)的ルッキズムに対して:こちらこちら)を行ってきたつもりです。


ところがですよ。上掲サイトにて今頃気付かされちゃったんですよねぇ。フォーディズムによって社会化された「社会福祉」は、現在のポストフォーディズム社会でのシニシズムに取り込まれ済みだって*1。至極穏当な線として「差別(侮蔑)問題」として反駁しようと思ってたんだけどなぁ。トロいよ私。
『え?でも俺戦い続けるよ?』としか云い様が無いのだろうか。それが真っ当なキニシズムだったとしても何だか一抹の淋しさを感じてしまうのは、未だに理想を捨てきれないからなんだろうか。

*1:それでid:republic1963氏の『非モテは負け続ける』にもとても得心が行った私。ホントにトロいな。