ゼロ・トレランス

所で上述の番組、ハマコーさん登場前の教育がテーマの部分が面白かったですね。伊集院光さんによるD・T代弁コメントに胸が熱くなったりして。
ゼロ・トレランスに反対の先生方のコメントで、「信頼」だとか「愛情」だとかが続出していたのも興味深い。無論大事ですよ、信頼と愛情。で、それをどう形作るの?抽象的なんですよね、これらをいの一番に掲げる方々のお話って。


私はゼロ・トレランスには賛成する立場です。これって要は校則の替わりですよ。理論的に根拠の無い校則*1が大手を振っていた事が問題視されて生徒の権利が主張されるようになり、今度は生徒個人個人の権利ばかりが護られる事で公教育としての目的が達成されなくなってしまっている。権利に付随する責任・義務としての規範を再構築する行為に他なりませんな。


で、ゼロ・トレランスに反対する方々は、この責任・義務を教えるのは「愛」だそうで。うへぇ。その「愛」とやらはどんなもので?
良くも悪くもセンセー方によって「愛」は様々なんですよ。どうしたって恣意的にならざるを得ない。規範が恣意的だと誰も信用しませんがな。ルールははっきりと明示すべき。そしてその運用方法に「信頼」だとか「愛」だとかを込めて下さいよ。3ストライクアウト法案みたいな有無を言わせない運用をしなければ、幾らでも「愛」の介在する余地はある筈です。
それに伊集院さんが指摘していた通り、現状のシステムの中で「愛」による「猶予」を多く与えられるのは無茶をする側の生徒に偏りがちです。ゼロ・トレランスに反対する方々には、無茶をする生徒によって権利を侵害されている、多くの「無茶をしない生徒」達をどのように守るのかという視点が不足してます。ヤンキー先生さんはひきこもり問題にも言及してましたが、これも殆どの場合「無茶をしない生徒」によるものの筈。
守るべきは誰なのか、何なのか、もう一度しっかり議論して欲しいなぁ。

*1:髪が耳にかかってるからといって学業に何の支障があるんだ