「スキル主義」

hopeless worldさん経由で。
自己責任論としての、あるいは天動説としてのスキル主義(from電網山賊さん)

よく考えれば、コミュニケーションの個別性を捨象して一般化することは、言語を共有しない者を排除することによって共同体(漠然と認識された「ふつうの人々」の地平)の平準化を図ろうとする欲望の現出であり、「異なる意見、異なる目標、異なる価値判断の地平を持つものは、もはやヨソモノであり排除すべき存在だ」という、あの「自己責任」論とまったく同じ構図を持っているのだ。


私も8/20のエントリ

〜「コミュニケーションスキル」という言葉を積極的に使いたがる人達に見られる傾向として、
(中略)「理解の及ぶ範疇に同化させよう」という傾向が強いというか。

なんてボンヤリ書いてましたが、電網山賊さんの所で
明解且つ詳細に分析されていますねぇ。すっきり。
賢いって良いなぁ。


所で、何でこんな事が起きるのか。
こんな『定量化されがちな「コミュニケーションスキル」』
なんて言葉が、あちこちでちやほやされてるのか。
みんな社会と個の距離を測りかねているのではないか、と
思うわけです。9/3のエントリのコメント欄で触れた、
アイデンティティの問題があるんじゃ無いかと感じるんですよねぇ。


普通や標準の総体として形式化された「社会」に対して、私という
個を位置づける際に、本来曖昧なものである社会を絶対基準とした
為に起きるパラドックスですねぇ。
正しい個人主義が根付いておらず普通信仰の強い土壌で、中途半端な
個性なんて語りだした結果、「普通」を基準に「アイツはコレが
出来ないから間違っている」という差別に依存した、歪んだ
自己主張・自己肯定が広まったんじゃ無いでしょうかねぇ。