どっかで見た流れ

九尾のネコ鞭さんでのコメント欄ですけどねぇ。・・・デジャヴ?
宗教的である、という見方は私も感じた部分ありましたけどねぇ。先日も言ったように、とっちらかるのを避ける為に、私は論理的部分での社会的観点を排除して展開してみたんですよねぇ。九尾のネコ鞭さんの考察が非常に鋭いだけに、どうなるか楽しみにしてたんですが同じ流れですか。残念。


こういう時によく見かける「まともな女性がいるというデータをよこせ」という主張。私、いっつも思うんですけどねぇ。論点がずれちゃうんですよ、コレ。例えばよく引き合いに出される「種違いの子供が5人に1人」。これは、「5人の内4人はちゃんと種が合ってる」って事であって、このデータだけで言えば「80%の女性はまとも」*1って事になっちゃうんですよねぇ。んなこた無い、ってのが判ってるからそこまで言わないだけで。精々以前のデータと比較して「性モラルが低下して行きつつある」、と言うのが客観的な分析です。データに対して「こうあるべき」という前提から批判するのは主観です。形而上学的に結論が先行して決まってしまってますわな*2。また「これまでの経験から」ってのは主観的経験論ですね。当然軽視できないものですし、これによって個人の主張は大きく影響されますが、客観的合理論と補い合う事はあっても打ち消す事は出来ません。経験をサンプルする群が偏っている場合尚更です。


経験をサンプルする範囲が限定されている事、サンプル対象にのみ救いを与える論理展開である事、から九尾のネコ鞭さんは宗教に例えてらっしゃるんですよねぇ。
私自身としては、先日から頂いている様々なコメントから「女性全体を敵と結論づける事で、精神的ストレスから解放される事」については納得しておりますし、グループカウンセリングの一段階としてはとっても有効かもしれないと考えてますねぇ。また「女性全体を攻撃する事で、女性内部からの告発を誘発する」という狙いには、成る程と思う所があります。が、パワーバランス論に関してと同じく、九尾のネコ鞭さんと同様に「憎悪の増幅」という結果を生むのではないか、という批判的立場で変わりませんねぇ。「憎悪の増幅したデータを出せ!」と言われても「内部告発が誘発されたデータを出せ!」と答えるハメになりますしねぇ。事実コメント欄でのpessoaさんみたいな感想も出てきてますしね。「それでも構わない」と言うのは結構ですが、「そんな結果は生まない」って事ではありませんがな。
取敢えず、私は「女性全体」の問題に対しては多少距離をとるつもりではあります。行き過ぎだな〜と思った時に口出すくらいが、私の目的に適っている気がしますしねぇ。*3

*1:極論は承知してます。細かい突っ込みは無しで

*2:モラル・道徳自体が宗教的背景を消せないので、ある程度仕方ないのかも知れない

*3:TBしといてそれは無いだろ、と私も思う