非モテで語られている問題まとめ(仮)

先日のモテ-非モテの分類を行った際に、喪人さんよりこんなコメントを頂きました。

モテ/非モテ軸を、「恋愛至上主義の指向/否定」軸にして、状況的に「モテる/モテない」軸を加えてマッピングの分類にしてみてはいかがでしょう?個々人の思考に対して個々人の環境がどうなっているかの乖離によって色々と分類しやすくなるのではないでしょうか。

それに対して私は『「恋愛至上主義」と「ルッキズム」は別軸にしないと、現実との齟齬が大きくなるかと考えてますので、3軸になるんですよ。ごめんなさい。おっつきませんでした。』という風にお答えしていたのですが、その後「恋愛至上主義」という言葉についてもう少し掘り下げてみたい、と考えてましてねぇ。



現在恋愛至上主義といえばモテの帝国、悪の巣窟と言う事で、ラブハラ問題の本丸になっていますねぇ。この点での異論は余り無いでしょう。んでもですね、電波男からその語義を拾っていくと

ルネサンス以降、近代西洋人は神よりも人間…つまり自らの自我を上位に置いた。故に人間と人間との関係は、神を仲介せずに成立・維持されなければならなくなった。そう、神なき世界では、人間と人間が直接「愛」という関係を構築しなければならないのだ。ここから「恋愛至上主義」が生まれ「恋愛結婚」という概念が成立していったのだろう。』
『恋愛が神の代替となった形 個人と個人が、お互いを神として崇拝し、お互いの自我の安定を保証してもらう相互扶助システム』

という形ですよねぇ。で、非モテ(反モテ)諸氏の主張というのは『んな真実の愛なんてどこにも存在しねぇじゃねぇか! お前らが恋愛だっつってんのは恋愛市場主義でしかねぇぞ!コラ!』『ホントの恋愛ってのは純愛至上主義だ!!!』と言う訳で、現実の恋愛を放棄するという結論を生む訳ですよねぇ。こうして見ると反モテの主張は、実は純粋な意味での恋愛至上主義を糾弾するものではなく、現実に見られる恋愛=ルッキズムや差別的コミュニケーションスキル観に支配された歪んだ恋愛=恋愛市場主義、に対しての糾弾ですよねぇ。


更に別のベクトルから眺めると、もう一つの問題が。これまで頂いた様々なコメントで判る様に『恋愛を重要とする価値観への同化圧力』の問題があります。この同化圧力は、恋愛よりも趣味を重視する人に対しては個人の趣味や価値観の否定という形で表れますし、恋愛経験そのものを価値とする為に恋愛経験の乏しい人を見下すという形でも表出しますねぇ。これは時にルッキズム等ともあいまって過酷な差別を生み出しますから。*1、当然の結果としてこの『恋愛を重要とする価値観』に対する強い反発が生まれますねぇ。


こうして展開してみると、非モテの文脈で語られる恋愛至上主義の問題は、以下の2つが挙げられる事になりますねぇ
ルッキズム、差別的コミュニケーションスキル観に基づいた恋愛観
・恋愛の価値を他の全てに対して高いとする価値観と、これへの同化・強制圧力


恋愛至上主義』と大雑把に言われてますが、敵は明確にした方がスッキリしますねぇ、やっぱり。

*1:恋愛至上主義の問題としてよく取り上げられるのはこれですかね