同調圧力

私、昔は本を読むのが好きでしてねぇ(最近ちっとも読んでませんが)。子供の頃は皆が野球している間一人部屋で本を読んでいたりしたんですが、大人も子供もみんな「野球をする事が正しい事」だと思ってるんですよねぇ。『みんなと一緒に野球しなよ!』何度言われたか。野球は嫌い*1なんだってば。何で『子供は外で元気に遊ぶもの』と決まってるんだ。『外で元気に遊ぶ子供が多い』だけの話じゃないか。ずーっとそう思ってましたねぇ。


この手の同調圧力は枚挙にいとまが無いですねぇ。左利きの私は当然箸も左で使います。*2小学生の時の担任で非常に頭のお堅い人がおりまして、右手で食べるよう強要するのです。理由を問うと『インドでは左手は不浄の手だ!』*3。・・・ここ日本ですし。結局彼は「右利きが多数」=「右利きが正しい」と無意識の内に読み替えてたんでしょうねぇ。結局『ここはインドじゃありません』と答えた所、『いつかきっと俺の正しさが判る』なんて仰ってましたねぇ。未だに判りません。誰か教えて。


一番困ったのは高校時代の同級生から言われた一言です。私の身長は160cmちょっとでして、まぁどう贔屓目に見てもちびっこの類ですねぇ。ある日高校時代からの友人達と飲んだ帰りに、私の次に背の低かった(165cm強位?)友人が私にそっと近づいてきての一言。
『背が低いのってイヤだよね〜。』
イヤ別に。子供の頃からずっと整列する際は前から2番程度ですからね。とっくに慣れてます。気にする事も特にありません。あ、バスケットする時はちょいと悔しい思いをすることもありますが。その旨返事をすると。
『え〜。イヤじゃない?イヤでしょ?』『だってさ〜。こういう時に損するし、ああいう(ry』
どうやら何とかして『イヤだよね〜』と言わせたいらしいです。私は「あー。それで悔しかったんだ。へー。でも俺は別に」なんて返していましたが、別れるまでずっと言ってましたねぇ。何なんだ一体。お前は私に「背が低い=損する」と思わせてどうしたいんだ。悔しがったり悲しがったり嫌がったりした所で、今更背が伸びる訳でもないだろうに。


後から聞いた所、どうやら彼は背が低いとの理由で女の子に振られたらしく、余程残念だったんでしょうねぇ。良いじゃん。どうせそんな女性はどんな男性相手でも、その男性では無くてその男性の身長だけ見てるんでしょうから。振られて良かったとしか思えませんでしたねぇ。この例は単に友人としての共感が欲しかったのかもしれませんけどねぇ。私にだけその話をする辺りにね、何だか気持ちの悪いものを感じるんですよ。深読みすればその奥には、ルッキズムに根ざした恋愛至上主義への同調圧力があるんですよねぇ。そっちの方が余程嫌ですってば。


社会に出てからの「付き合い」だとかいった飲み会にも同じ構造がありますねぇ。協調、共感を大事にするなんて言ってあんな事してますけどねぇ。いい話聞きませんよ、どこ行っても。この種の集まりの参加者って、裏で話聞くと大概「仕方なく来た」って言ってますねぇ。どこいらへんで協調や共感が育ってるんだ。それとも何か。お友達ごっこでもしてないと共同体が維持できないほど既にぼろぼろなのか。


ルッキズムに依った恋愛関係は一人で飛び込むには辛いから誰かの同意が欲しいのか。嫌な上司と飲みに行くのは一人じゃ辛いから誰かを道連れにするのか。こんなばらばらな社会は一人で生きていくには辛いからみんなをお友達ごっこに誘うのか。そんな下らない同調圧力がなんぼのもんだ。

*1:見るのは最近OKになりました

*2:文字だけは躾けられて右手で書きます。日本語自体が右手で書くように作られてますから、これはこれで都合良いですねぇ

*3:宗教的理由と、左手で直にお尻を拭いたりするからですねぇ