選択の自由

「○○しなくてもいい」という言葉の残酷さ
(from hopeless worldさん)


ん〜〜〜〜〜。
色々考えてたんですけどねぇ。結局『恋愛が普通にできることが社会的承認を得る最低条件』に同意できないので、ちゃぶ台返しにしかならないんですよねぇ。やっぱりこの前提条件が成立している(と受け取る事が出来る)事が一番の問題なんじゃ無いかと。


例えば、中国に行ったことの無い人が中国の事を語ってはいけないのか*1、と聞かれれば殆どの人が『そうではない』と感じるんじゃないですかねぇ。同じ様に、恋愛経験の有無は関係なく恋愛を語っても良いし、そこに主観による評価があって良い。そして恋愛なんてどうでも良くて、全く無視したって構わない。
勿論、経験の有無で知っている事や感じ方に違いはあって、そこに差異は生まれるけれども、それは『自らの経験、知識が全てでは無い』ときちんと認識し、決め付けさえ行わなければトラブルの元にはならない筈。
経験があっても経験前と同じ様に考えている人が居る。経験が無くても経験がある人より深く考察できる人も居る。結局恋愛なんて、一般的に敷衍して解釈できる問題を内包しているとしても、極々私的な一個の経験でしかない。それを社会的承認に結びつけるなんて無茶だと思うんですよねぇ。こんな前提条件が無ければ『したいか、したくないか』の話になるので、また議論のレイヤーが変わってくるんですよねぇ。


ともあれ、この妙ちくりんな前提条件が無自覚に受け入れられたまま、bluedeさんが以前のエントリで仰ってたように少子化が進む事で、結婚圧力→恋愛圧力が更に高まる事が心配ですねぇ。

*1:詭弁のように感じられますかねぇ