恋愛は社会的承認の基準になりうるか

前回のエントリ「恋愛する事は不幸なのか、それとも幸福なのか」へのブックマークコメントにて、id:memoclipさんより『社会に関わらないと人間は細り弱っていく。おかしくない、必要だ。』との言葉を頂きました。『社会的承認との相互作用にて人は生かされており、社会的承認は否定されるべきものではない』との意図と解釈しましたが、これでよろしいでしょうか?
取敢えず、この解釈を前提としてお答えしたいと思います。


さて、社会的承認の存在意義については私も否定いたしません。寧ろ自己実現や自己承認の過程、自己不全感の超克において多くの場合必要とされ、プラスに働くケースも少なくないと考えています。人間は「社会的生物である」と言われるように、自己承認と社会的承認は密接な関係にあり、相互に作用しあうものでしょう。
『仕事』で考えてみると、会社という共同体=社会の中で自己実現するには社内の社会的承認が必須ですし、望んだ職業であればそれは自己承認も強化してくれるでしょう*1。『勉強』についても数値化された結果により受ける承認は各種の実利的な利益を産み、自己不全感の克服に繋がるでしょう。いずれの場合も社会的承認を全く受けない自己承認は『自己満足』と言われる状態ですね。*2


この点において問題があるとすれば、社会的承認の影響力が強すぎるケースで、社会的承認を受けなければ自己承認為されないと受取られる状態、また意味が転倒して『社会的否認』として機能する場合です。実際このような世界観は日々強められており、「自己が社会に従属する感覚」によるストレスは見過ごせませんが、これは承認の有り様や自己と社会の規定の問題であり、社会的承認の存在そのものを否定する物ではありません。



その上で、私が前回のエントリで伝えたかったのは、『恋愛が社会的承認の尺度の一つとして受取られている事』に対する疑念です。
恋愛というのは、自分と相手との一対一の関係です。自己以外の他者とのコミュニケーションという視点で、その他の第三者に適用でき得る面も多々含んではいますが、『恋愛』という括りで見る限りは完全に、自分にとっての個人的経験、相手にとっての個人的経験であり、それ以上ではありません。しかし、『普通は恋愛する』という考え方は一般的に認知されていますよね。これは逆説的には『恋愛しなければ普通では無い』という意味を持ち、更には『その年にもなって恋愛の一つもしていないなんて、何か人格的に問題があるに違いない』といった否定的文脈で語られる事すらあります。勿論『恋愛したくてしたくてたまらない』にも関わらず恋愛が出来ない人の場合、対人コミュニケーションの手法に問題がある場合もありますが*3、この場合においても『対人コミュニケーションの手法』の問題であり、『恋愛をしたことが無い』事が問題では無い訳です。
現在『恋愛経験の有無』が社会的承認要素として存在する事で、自己承認が困難になっている人に対して『恋愛』そのものが更なる自己否定要因として存在する問題以前に、以上の理由で極個人的な経験である『恋愛』は社会的承認の基準には相応しくない、と私は考えています。


何故現在において、無意識的にでも『恋愛』が社会的承認要素として受取られるに至ったかについては、日本的な『閉鎖的な地域共同体意識』が影響していると思われます。家制度なんてのは明治以前においては武士階級か富裕商人、地方名士にしか存在しておらず*4後付けだと受取るのが妥当かと。地域共同体の構成員同士の結び付きの強化、また他地域の構成員との婚姻による相互の共同体の安定化(不安定化)要因として、婚姻は重要な影響を持っていたと考えた方がしっくりきます。
西欧においても中世までの封建制において、婚姻は共同体の指導者の了承を必要とするなど社会的な承認と密接に関わっていたと考えられますが、市民社会の成熟と人口の流動化によって生まれた個人主義により、その社会的影響力は薄れて行きます*5。対して日本においては、西欧社会の市民社会形成のシンボルたる市民革命は存在せず*6、突如として降って湧いた『平等社会』での個人主義の生育は見られず、急速な西欧化による人口流動化が起きたのみで、『恋愛』『婚姻』が社会的要素から個人的要素に還元される事が起きなかった。だからこそ、現在『恋愛』が寄る辺無いまま社会的要素として影を落とし続けているのでは無いか、そう考えています。
家という単位が核家族化より進んで『各部屋化』し、地域共同体も再編される今、『恋愛』が社会的承認の要素であり続けるというのは、歪な形ではないか、私はそう感じてなりません。

*1:望まなかった職業であっても、社会的承認を受けて自己承認に至り、職業そのものに対してポジティヴになるケースも多々ありますね

*2:「自己満足の何が悪い」という意見も、会社・受験といった直接影響を受ける社会を離れれば、全くの正論

*3:ルッキズムについては別の問題であり、ここでは触れません

*4:明治維新での四民平等、その後の戦時体制に於ける兵員動員システムにより一般層に根付いたと考えられる

*5:イギリス国教会の誕生にその端緒を見る事が出来る

*6:明治維新はクーデターと理解するのがスジ