恋愛する事は不幸なのか、それとも幸福なのか

「白痴でいること」は不幸なのか、それとも幸福なのか
(from ゾゾコラムさん)


ガンスリンガー ガール』って読んだ事無いのですが、ちょと読んでみたくなりましたねぇ。


で、毎度恋愛ネタに持って行って申し訳ありませんが、今回のid:zozo_mixさんのエントリのこちら

自我がない彼女たちは、公務である「殺人」を、淡々とこなす。殺人が「うまくできる」と、誉められるから嬉しい。殺人が「うまくできない」と、失望されたり嫌われたりするから悲しい。義体たちの価値基準は、これだけだ。生きる目的が「人殺し」であること、その目的のためなら自己犠牲も厭わないこと、そのことに疑問すら感じないこと。集約するとつまり「自らで判断する自由」を奪われた少女たちは、限りなく不幸である、と思う。

この『殺人』を『恋愛』に置き換えてみると

自我がない人々は、公務である「恋愛」を、淡々とこなす。恋愛が「うまくできる」と、誉められるから嬉しい。恋愛が「うまくできない」と、失望されたり嫌われたりするから悲しい。義体たちの価値基準は、これだけだ。生きる目的が「恋愛出来る人」であること、その目的のためなら自己犠牲も厭わないこと、そのことに疑問すら感じないこと。集約するとつまり「自らで判断する自由」を奪われた人々は、限りなく不幸である、と思う。

うわぁ。ぴったり。これ、割と何でも当て嵌まるはずですねぇ。『勉強』でも『仕事』でもいけますねぇ。結局『それが当たり前だから』『普通だから』と言うように『公務』として捉えた物事や、他者から評価される事が目的となってしまった行為は、全てこのような思考停止状態に陥ると言う事ですねぇ。こと恋愛に関しては肉体的・精神的承認も絡む為、無批判に恋愛を受け入れる事が『不幸である』と認識するのが困難になっている事が、話がループする原因でしょうねぇ。
『恋愛は素晴らしい!』という言葉は、何故恋愛するのかについて何も答えてくれません。何故素晴らしいのかと考えた時、答えは個人の経験の中からしか見つけられないでしょう。それに無自覚なあまり社会的承認と称して同調圧力を生むなんて、アホらしいとしか言い様がありませんねぇ。
素晴らしいか、くだらないかを『自ら判断する自由』を奪われた世の中は、限りなく不幸である、と思う。