なんだかなぁ

当事者問題を殊更に取り上げて排除する動きが嫌。別に私が既婚者だからという理由なんかではなく、完全に当事者にしか存在しない・理解できない問題であれば、現在のような問題意識の共有なんて起こらない訳で、問題意識が一部でも共有されるという事は共通した問題が存在するって事じゃないですかね。それは現在においても当事者であるか、以前当事者であったかによって、切実さの程度において違いはあるだろうけど、ある種の問題として等しく共有する事は出来るだろう。


ついでに言えば、問題に対する解は一つでは無くて、色々な中から個々の必要とする解を選択して行く事が望ましいと思うんですよ。個々の背景や理想が違うからこそ、解の選択肢は多い方が良い。その上で、解を選択する過程で自らが「好ましい」と感じる解以外を、「好ましくない」という理由で排撃するのはホントに不毛だと感じる。相容れなくても良い。けれども「相容れない」と感じる物を蔑む事は、「非モテ」が「世間」から受けてきた仕打ちを、そのまま内ゲバとして行っているだけに過ぎない。当事者問題を持出して、相手を排斥しようとするのも一緒。
そろそろ何が問題なのかという「共有される問題点」を真剣に考えた方が良いんじゃないだろうか。でなきゃずーっとこの話題は「若者の熱病」扱いのままの希ガス