それはコミュニケーションスキルじゃなくてネゴシエーションスキルだ、と言ってみる

コミュニケーション能力はもういいよ(from hopeless worldさん)でのコメントの遣り取り以来、コミュニケーションスキルとは何ぞや、と再度引っ掛かってしまいました。で、もう一度「コミュニケーション」に戻ってみる事に。


はてなではこんな感じ。

  • 日本語では「意思疎通」などと訳されることもある。
  • デジタルツールの普及した現代では、それらを利用した他人とのコミュニケーション能力は進化しつつあると言われると同時に、直接会うなどの方法によるコミュニケーション能力は逆に衰退しつつあると危惧されることもある。
  • NLPでは、「コミュニケーションとは、相手の意欲を引き出すこと」と定義

Googleさんで調べるとこんなのも。

  • 相互作用過程説:相互作用としてのコミュニケーションが社会の基本的単位である
  • 刺激−反応説:コミュニケーションは刺激,反応,学習の連続によって習得されるもので社会調節,管理の手段となる
  • 意味付与説:意味を相手に伝える過程がコミュニケーションである
  • レトリック説:古代レトリックの観点からコミュニケーションを捉えようとする

他に『コミュニケーションとは、単に情報を正確かつ効率良く伝達することではありません。お互いに理解を深め、感動を共にし、人と人の心がふれあうことがその本質です。』なんて一文も見かけましたが、単なる共感作業もしくは同化圧力の、体のいい誤魔化しですのでパス。



大きくまとめてコミュニケーションには以下の機能がある(求められている)かな?

  1. 発信者の意思を意図通りに伝える機能
  2. 情報の発信の結果起きる作用(反作用)を引き出す機能
  3. 受信者に起きた作用が再度発信者へと伝わる機能

立ち振る舞い、ファッションがコミュニケーションツールとされるのも、視覚情報によって何らかの情報を伝える行為(ノンバーバル・コミュニケーション)と捉える事が可能だからですね。情報の発信から続いていく作用の連鎖、これがコミュニケーションと呼ばれるものでしょうか。




で、問題となるコミュニケーションスキルです。これは上記をよりスムーズに行う技術として考えた場合、hopeless worldさんのコメント欄id:shirokumaさんが仰る様に「対象の状態や立場や性格などを出来るだけ早く把握してリアルタイムに対応する」、即ち発信者にとっては『受信者の人物に合わせて的確な情報伝達方法を選択し、それに対する受信者の反応を正確に掴む』事で、受信者にとっては『発信者の発した情報をその人物に合わせて正確に理解し、それに応じた反応を適した手段で行う』と言うことですね。うん。おかしくない。
でも何だか引っ掛かるんですよねぇ。


これ、その場その場で判断・評価されるものですよね。『空気を読む』や『ノリ』がキーワードになりがちである事もそれを示しているかと。しかし、コミュニケーションの結果、当初は「無口・つまらなそうな人」と判断された人がその後「誠実・慎重な人」という結論に達する事もあるし、「軽薄・八方美人な人」と判断された人が「行動的・思いやりがある」となる事もある(逆も然り)。長期的な視野に立った場合、コミュニケーション(交流)によって受ける影響や作用は、時間を置いて反応を得る場合があります。即時的なコミュニケーションスキル評価を定量化する余り、その場での判断は留保して作用を見極める機会を奪う可能性があるんじゃないでしょうか。


更に、コミュニケーションというのは「期待する結果を得る為の能動的活動」の結果なのか、という問題もあります。能動的コミュニケーション以外に、何らコミュニケーションを意図しない個人の活動についても、社会生活の中で他者にそれを見られれば何らかの作用を生み、他者からの反応を引き起こしてコミュニケーションへと発展する事も多いでしょう。この点でコミュニケーションは上記の様に「作用の連鎖」と捉えたほうが良いんじゃないでしょうか。そして作用の連鎖そのものとして考えると、その場での結果を重視する手法は、交渉能力(ネゴシエーションスキル)と呼んだ方がしっくり来る気がするんですよね。そうするとほら、ビジネスシーンが「コミュニケーション能力」を異様に重視する理由も判る気がする。



念の為、能動的コミュニケーションに長けている人が嫌いって訳では無い事を付け加えておきます。話が建設的にどんどん進むし、マイナスの意図の場合無駄な対話をせずに済む。嫌いじゃないというより寧ろ好きです。が、押しの強い奴ばっかり褒められる社会ってのは気持ち悪いとも思いますね。