ホントの自分とかどうでも良いじゃないかよ


むかーしちらっと書いたけれど、私は「本当の自分」という言葉が嫌いだ。CMで『ホントの自分、デビュー♪』とか言ってるのを聞くとイラッと来る。コンタクトをする事で「ホント」になる程安っぽい人間なのかお前は。つーかそれで「ホントの自分」と言うのならば、ホントなのはコンタクトだけだ。お前=コンタクト。アホか。


本当の自分なんてのは何処を探しても見つからない。自分の中にのみ存在する。探すまでもなく今あるまま、そのままが本当の自分なのだ。過ちを犯して悔いている自分、思った通りに行かず納得できない自分、それら全てが「本当の自分」だ。
そして同時に他人とっての本当の私も、他人の中にしか存在しない。そのギャップに悩まされる事も多いだろう。それがどんなに一面的で極端な人物像であっても、相手にとっての自分はそうなのだ。それを「本当の自分を理解していない」などと詰るのはナンセンスだ。自分の考える「本当の自分」の像が、相手の中に結ばれるように見せる他ない。しかしそれとて自分の考える「本当の自分」では無いだろう。だって相手はあなたでは無いのだから。自分からすると勝手としか思えない欲望を抱いてあなたに接する他者。時には自分自身を切り売りされている気分にもなるかもしれない。
しかし時折、将に稀に同じ感覚を共有する事ができる。いや、感覚の中身は異なるのかもしれない。ただ何だか心のどこかが触れ合った気がする。その瞬間が楽しくて楽しくて何だかもの凄く得をした気がして、私は他人と付き合うのがやめられない。
どれが本当の自分かなんて自分で決めても意味が無いし、それに縛られる事もつまんないと思うなぁ。