当事者が戦争を語らない訳

若い頃、特に高校生の頃なんかは、実際に戦地に赴いた人達が何故戦争を、現実に起きた事を語りたがらないのか、さっぱり理解できなかった。
自身の行為を肯定するにしても否定するにしても、他人・他国からの意見や批判にさらされるまま黙っているのには、もどかしさを通り越して苛立ちすら感じたものだった。*1


所が最近何となく解る様な気がしてきている。
恐らく戦場に赴いた一般兵士の殆どは「お国の為に死ぬ」事を1番の目標にしていた訳ではなく、「家族の為に生きて帰る」事を望んでいたんじゃないか。生きて帰るために相手を傷つけ、時には殺して来たんじゃないか。そういう人にとって、戦争について語ることは『家族の為に誰かを殺した』事を語る行為で、即ち自分の行為を家族の責任にしてしまう事になるのではないか。そう考えると理解できる事に気付いた。


自らを肯定も否定もせず、周囲からの批判や賞賛にも無関心を通し、ひたすらに語らない事を選んだ元兵士達は、実は最も家族思いだったのかもしれない。そういう責任の取り方もあるのかなぁ。

*1:戦場に出なかった政治家の言葉や、前線から離れた所で指揮してたお偉いさんの話は聞くだけ無駄