『ファッションによる差別と侮蔑』の追補およびブクマコメントへの返信

id:sivadさんより前々回の『脱「脱オタ」』へのトラックバックを頂きました。
文中の『外見は重視すべきだが、ファッション(流行り)は重視すべきでない』という部分ですが、これは『ファッションの多様性はオタクルックと雖も認めるけれども、やはり外見は重視すべき』と取れますね。私は多様性を認めるのであれば、『外見を重視しない』という方法も認められて然るべきだと考えます。人間に犬猫と同様な「本能的な部分」があるとしても、それを倫理性によって克服しようとするスタンスがあっても構わない。それが多様性を認めることでは無いでしょうか。但し、何度も言っているように「侮蔑」は宜しくない、と考えてますので、逆転して『「外見を重視しない」事が「外見を重視する」事に優越する』となって、そこに「侮蔑」が生まれる事があれば、それは勿論批判します。


ブクマコメントよりid:Leiermannさんからは 『なお「宗教的な愛」は差異を肯定することでもあると思います。』と頂いています。
『愛』という言葉がキリスト教に依るものである事は同意頂けるかと思います。これ、本来は『神の愛』ですよね。神から与えられるものです。神はあなた方全て平等に愛する、あなた方もそう努めなさい、ってなイデア論ですよね。私は身体性を切り離せない人間が形而上まで辿り着けるのか、と疑問に思いますねぇ。身体性、有体に言えば『性欲』を切り離さずに、ある種理想的な共産制の様な普遍愛世界が一瞬でも成立したとして、恐らくは多数の裏切り者によってあっという間に崩壊するのでは無いか、と思っています。コロニーのような小規模の集団でしか成立可能性の無い、悲しい話になってしまうんじゃないかと。
それから、キリスト教内部において『愛』は仰るとおりの意味を持ちますが、現代の世界を見て判るとおり、『他宗教』という同じ次元で相対するものに対しては、やはり排他的な側面を持ちますね。この点で概念的な宗教と違って、集団的な宗教は差異を許容できない*1。結局『同じ神を持つ』すなわち『あるモノサシを信奉する一団』内でのみ、外見的、経済的、その他諸々の差異による差別・侮蔑から解放されるのであって、これはモノサシを『神』に預けている事による限界かもしれないと感じています。


も一つブクマコメントよりid:TakahashiMasakiさんより。 『でも'差別'には侮蔑等もふくまれるのでは?差別OK侮蔑NGってのは違う希ガス
『差別』という言葉に侮蔑が含まれているというのは仰るとおりです。しかし文字通りに受取ると『比較して差異を明確にする事』であり、それ自体は個人の嗜好において問題ありません。
問題とされるのはそこに上下の別を与える事、ランク付けを行い下の事象に対し不利益を与える事ですね。社会的問題としての『差別』と言う場合通常、現実社会での実利的な不利益を表わす事が多いです。人種差別であれば人種によって就職に不利がある、部落差別も女性差別も同様と言った所でしょうか。これに対して過剰なルッキズムに因る差別は実利的差別ではなく、心的嫌がらせといった『侮蔑』的な部分が核を成しますよね*2。これは社会的差別としては表層に現れない為『愚痴ってるだけじゃん』という言葉も良く耳にするので、『侮蔑』の部分を抽出する為に敢えて言葉を分けさせて頂きました。




さて、先日来長々と続けてきて最後になりますが、私のスタンスを一度言っておきましょうかね。私はファッションに「それなりの」興味を持っています。自分の好きな形、色、素材などがあり、自分の身につけるものは自らの嗜好で選択します。だから気に入ったものであればいつまでも使いますし、もしそれが使えなくなれば同じ物を買ってくる事さえあります。
ただ、人の洋服には余り興味が無い。無いと言えば嘘になってしまうのかな?人のファッションを見て「この人はこういう音楽に興味があってこの服を着てるのかな」とか「その靴かっこいいなー」なんて事は考えます。苦手なファッションも有りますよ。ゴスロリとか私には良く判りません。モノトーン苦手だし。んでもそれが好きな人に対して「嫌いだから云々〜〜」なんて事は言わない。言っても仕方ないし、意味が無いから。だから所謂オタクルックの人がいれば「あ、洋服に興味が無いのね」で終わり。友人にもおりますよ、オタクルック。ただし、ひたすら流行の服を追い続ける人には『節操が無い』との言葉を送りますねぇ。

私が言うのは「不潔なのはヤメテね」って事だけです。別にケミカルジーンズの人と一緒に食事しても食事の味は変わらないが、臭うほど汚れた服の人と一緒には食事をしたくない。まぁ実際そんな人はそうそういない訳ですが。
ですからこれは『清潔感のある格好なら大丈夫、と人は言うけれど……』(outsider reflexさん)で仰ってるように「清潔感のある格好」とは断じて違います。この「清潔感のある格好」ってのは、「場のコード」や「時間帯」「相手」も考慮した上で「より効果的に清潔感をアピールできる格好」の事ですからね。いきなりハードル高いんだよ、と言いたい。つーかそんな事先方で全部書いてありますね。すんません。

*1:勿論先端の宗教者はこれを克服すべく対話を重ねている事は存じています。が、それが教団そのものとしての運動にはならないでしょう。教団が社会的機能を持つ限り、自身でそれを解体する事は恐らく出来ないかと。

*2:ルッキズムでも場合によって実利的差別は有りますが、これは上記の差別と同様に法的に裁いてもらえば良い。根拠が無いので他の適当な理由を無理に後付されて中々大変だとは思うが