劣等感

劣等感って嫌な響きの言葉ですよね。『劣る』という言葉そのものが与えるイメージが良くないし、ルサンチマンの源泉とされたりもしますし。でも私は劣等感こそが人を成長させると考えています。


私は子供の頃部屋に篭って本ばかり読んでいて、運動がとても苦手でした。ぽっちゃり体型で走るのは遅い、野球のフライは捕れない、ドッジボールはキャッチできない。スポーツそのものが私に劣等感を抱かせるものでした。
しかし、小学校の終わりの頃でしょうか。体育の時間にバスケットボールをした時の事。思ったよりもゲームに参加できたのです。初めて体育の時間に周りに必要とされたのです。気を良くした私は中学校入学と同時にバスケ部に入ります。それまで「運動オンチ」と散々馬鹿にされ続けた私は、皆を見返してやろうと練習に熱中しました。そして1年生チームの中ではレギュラー扱いを受けるまでになりました。その後転校を機にバスケ部は辞めてしまいましたが、劣等感をバネに努力した私はそれを克服し自己承認を得るに至ったのです。






って事が言いたいのでは無い。


いや、確かに劣等感を克服できた部分はあるけど、それは『スポーツが出来る奴の方がエライ』というヒエラルキーを強化するだけですねぇ。そんな、常に敗者を作り続け勝者のみを礼賛する「努力信仰」を持ち上げるつもりはありません*1


私が最も劣等感を感じていたのは家族についてでした。父は外でガンガン子供を作って来る。そんなDQNの血を受け継いでいる自分が汚らしかった。家族での会話なんて無い。あるのは怒声ばかり。そして、そんな父と母がそれでも夫婦生活を営んでいる事を知った時は、自分の中にある性欲も激しく忌避しました。
「誰それの家みたいな家庭であれば良かったのに」なんて思った事はありません。ただ自分の家庭、家族、自分自身が周囲の人々と比較して劣っていると感じていました。


でもね、そんな中で私が得た経験、そしてそれから考えて得た事、全てはその「劣等感」があってこそ得られたものです。私が「父のようなDQNは本当にダメな奴だ」を考えるに至ったのも、父あってこそです。劣等感を感じ続けたからこそ理解できるようになった物事、劣等感を感じずにいたなら気付かずにいたであろう物事。それを得る事が出来たのは劣等感のおかげです。父の評価は「ダメなDQN親父」で1㍉も変わりませんが、その点では父に感謝していますねぇ。


勉強が出来ないから判った事、スポーツが出来ないから判った事、童貞だから判った事、キモメンだから判った事*2。色々あるはず。それでいいのだ。

*1:「努力」を否定するつもりは全く無い

*2:そしてその逆に判らない事も